体罰は断固反対します-読み物4

他団体では、体罰が平然と行われているところがあります。それら団体も信念を持ち行っている教育法だと思いますので、どうこう言うつもりはありませんが、私たちは体罰を暴力と考えています。

力でねじ伏せることは、即効果があるという面から言えば有効な手段の一つかもしれません。そして、その即効性から体罰は繰り返されがちです。しかし、プラスの面よりもマイナス面の方が多いのも事実なのです。(罰の使用の欠点)


私たちは下記の理由で体罰に断固反対します。

  1. 体罰によって抑制される行為は、場所や形を変えて出現する可能性が高いので、根本的な解決にはならないと考えます。
  2. 体罰でねじ伏せることで、信頼関係が崩れる可能性が高まります。もし信頼関係が崩れた場合、当人の反省を促すのは難しく、更なる力でのねじ伏が行われるようになりがちです。
  3. 体罰を与えられた者は、反省せずに反感感情を持ち、そのストレスを周囲の人や物あたりちらす場合があります。
  4. 体罰の対象となる行為を行う者は、「ばれないように」「ばれても体罰の対象にならないように」など、その行為が巧妙かつ悪質になる可能性があります。
  5. 体罰が効かない、もしくはできない者に対して、それを続けていくことはとても危険です。効果がないと罰を徐々に大きくし、その許容範囲を超してしまう場合があるからです。

以上、私たちは、時間はかかるけれども、じっくりと腰をすえ、 コミュニケーションを通して子ども等を陶冶することが教育であると信じ活動しています。

強いものが力でねじ伏せることは、そこらへんを手抜きしていると考えます。また多くの場合、自分よりも腕力や権力を持つものに対して、体罰は実践されません。 体罰を行われる者と行われない者が出てくるとすれば、そこに矛盾を感じます。


人格や性格のせいにしない

私たちは、子どもが何かトラブルを起こしたときに、「彼はキレやすいから」とか、「彼女は自己主張しないから」、「そういう性質なんだよ」などと、 その子どもの人格や性格のせいにはしないよう心がけています。トラブルの起きた状況を深く掘り下げて考え、トラブルの起こった きっかけやその周辺に纏(まつ)わる状況を把握して、次回に備えるよう心がけています。

なぜなら、性格や人格はその人の深いところにあり、それを変容することはとても難しく、場合によっては不可能と考えるからです。 一方、環境や行動、思考といったものは比較的表層部にあり、それを変容することは可能と考えるからです。