愛は裁かず-読み物2
裁くとは「理非を明らかにする」という意味です。簡潔に言うならば、白黒をつけるということなのでしょうか。
この活動を行うなかで感じることは、場合により白黒をつけないこと、そして、グレーゾーンを残すことが大事ということです。
NPO法人青少年の自立を支える会シオンの運営する自立援助ホームみらいには、事情から、社会生活を行う上でのスキルを十分に身につけることができなかった者や、 愛情を十分に感じられなかったために、不信感や攻撃性、盗癖等が強い者も見受けられます。
自分でも分かっているのにその行為をやめられない者、愛情を押し付けと感じ、閉塞感から動けなくなってしまった者、何故その行為をしてしまうのか分からない者も、全員前向きに生き、 幸せになりたいと苦悶しているのです。
親等を含む大人から見れば十分ではありませんが、本人たちは前向きに一生懸命に生きています。私たちはその努力と想いを最大限に評価したいと考えています。
その行為を「良くないことだ」と裁断することは極力避けます(他者へのあらゆる暴力は例外)。渦中にある者を裁くには、とても強い力、あるいは、微妙なさじ加減が必要です。
その按配を間違えると、反省せずに反感感情だけを植えつける場合があるのです。
裁かずに理解するよう努める
子どもが不本意な行為をした場合、私たちは、まずはじめに何故その行為をしたのかを尋ね、その言い分をしっかりと受け留めるよう努力しています。
「その考えはちょっとな!」などと裁きが入ると、子どもは自分の考えを話すことを辞めてしまいます。
ここでは、よい悪いは一度棚上げして、彼らがどの様に物事を考えているのかを理解することに専念します。時間が経つにつれ、あるいはそれを重ねることにより、本人自身に気づきが芽生えることも数多くあります。
また、私たちが彼らの考えに寄り添い、理解しようと努めることで、彼らも私たちの考えを理解しようと思う、心のゆとりが生まれます。自分の考えを相手が理解しようとしていることが分かると、考える行為が進み、それに伴い思考が深まる。それにより考える力が育まれていくのではないでしょうか。